算数の時間,子どもたちに次の問題を出します。
「7個のビー玉があります。何人で分けたいですか」
敢えて素数を提示します。子どもたちのこの数に抱く感覚的な違和感を引き出したいと考えたからです。
問題を見た子どもから,「分けられない」「中途半端な数だから」と声があがります。感覚的に7個を分けることは難しいと感じているようです。分けるという視点で見たときの素数に対する違和感は子どもたちには備わっているようです。
そこで,「『分けられない』ってどういくこと?」と尋ねます。すると,次の声があがってきます。
「2人だと4個と3個になる」
「これは不公平」
「多い・少ないがあるのはだめだよ」
等分できないことに視点を当てた考えが生まれてきました。もちろん,1人・7人なら等分はできます。しかし,子どもたちは等分できる組み合わせが「これしかない!」と怒っています。
すると,今度は次の声があがってきます。
「4人,6人,8人なら,もっと分けられる」
「2跳びの数ならいいのに」
ビー玉の数を変えて考えたいという新たな視点が生まれてきました。公平性の視点から問題文を変えようと提案できる子どもたち,逞しいですね。
そこで,12個のビー玉なら何人に分けられるのかを考えることにしました。7個の時よりも,多くの組み合わせがあるのでしょうか。子どもたちは,1人・2人・3人・4人・6人・12人なら公平に分けられると考えました。
そこで,前述の人数なら本当に等分できるのか順に確かめます。先ずは,3人で等分できるのかを考えます。子どもたちは,ビー玉を1つずつ3人の子どもに分けていきます。すると,本当に1人分が4個で等分できることが分かりました。その後,4人や6人などの人数でも等分できるのかを確かめます。いずれの人数でも,等分できることが分かりました。分け方を考える中で,子どもからは,
「かけ算でも答えが分かるよ」
「確かめ算もかけ算でできるよ」
と声があがりました。
さらに,次の声もあがってきます。
「トランプの配り方と同じだ」
よい気付きがあがってきました。子どもたちも納得の声でした。今回の問題は等分除問題です。それを「トランプ配り」に例えることで,一気に共通のイメージ化が図れました。
わり算との出合いの授業です。子どもたちが感覚的に等分できないと考える7という数値に意図的に出合わせることで,多くの人数で等分できる数字を子どもたちが創り上げる授業ができました。これは教科書とは全く異なる展開です。しかし,教科書以上の発想が子どもから生まれてきました。