3年生の子どもたちに,「1個21円のお菓子を3個買いました。合計はいくらですか」という問題場面を提示します。立式はすぐに21×3とできます。答えも,全員が求められます。
素直に考えれば,21+21+21で求められます。しかし,この求め方に対しては,「かける数が3の時はいいけど,×9とかに大きくなったら大変だよ」と声があがります。具体的事例をあげて,たし算方式の限界を指摘する声です。
かけられる数の21を20と1に分解する考えが生まれてきます。20×3と1×3の計算を行い,それぞれの答えをたすのです。低学年でサクランボ計算などで,位毎に分ける計算を経験しています。その時の見方・考え方が,ここでも生きてきます。
ところが,20×3の計算を巡ってズレが生まれます。(何十)×(一位数)の計算は,この段階では未習です。
「20×3は習ってないからできない」
「簡単だよ。20の0をとって2×3=6でしょ。6にさっきとった0をつければ60になるよ」
「0をつけるって?」
「だから,6に0をたすんだよ」
「6に0をたしても6だよ」
「そうだよ,6+0=6だ」
「だから,たすんじゃなくてつけるの」
「つける・・・?」
(何十)×(一位数)の答えの求め方を形式的に先行学習している子どもによくみられる説明です。「0をつける」という説明は算数にはありません。また,国語的にも誤った表現です。その言葉の意味が理解できない子どもがいるのは,きわめて自然な姿です。この場面は,「0をつける」が理解できない子どもに寄り添い,ていねいに展開していきます。
子どもたちに,「0をつけるってどういうことなの?」と尋ねます。形式だけを理解している子どもは,説明に行き詰ります。一方,素直に考える子どもは別のアプローチをしてきます。
「20×3を10円玉で考えたらどうかな。20円は10円玉2枚でしょ」
「そうか。10円玉2枚なら2×3=6だね」
「6は10円玉が6枚。でも,本当はその10倍だから6×10=60円だ」
「20のままでは計算できないから,20÷10=2と考えるんだね。2×3=6。でも,さっき10でわったから,本当の答えにするために10倍するってことだ」
これらの考え方は,形式を知らない子どもの方がすぐに理解できる傾向が高い事実があります。これからの算数で大切なことは,答えを出すことではなく,答えを導き出すための論理を鍛えることです。20円を10円玉に置き換えるような考え方が大切なのです。
さて,さくらんぼ算のように位毎に分けることで,二位数のかけ算が計算できることが見えてきました。21×3以外の計算も,この求め方で答えを求めることができました。「かけ算は簡単」と子どもたちは考え始めています。
そんな子どもたちに,「もうかけ算は大丈夫だね?」と投げかけます。子どもたちは,元気に「大丈夫」と答えます。それと同時に「百の位でも大丈夫」という声も続きます。子ども自らが計算範囲を拡張してきたのです。このような見方・考え方ができることも大切です。
その後,百の位のかけ算も子どもたちは実験してみます。これも,先ほどと同様に位毎に分けることで計算できるのです。もう,こうなると筆算を今さら使う必要感は子どもたちにはありません。なぜなら,筆算で行っている計算手続きと同じことを,子どもたちは位分け計算で行っているからです。早い段階で筆算の形式を教えるのでなく,筆算と同じ考え方を子どもたちに十分に浸らせることも大切な授業創りの視点です。